
楳図かずおは1936年生まれ、和歌山県出身の漫画家で、日本のホラー漫画界に革命をもたらした存在なんです。1966年に「週刊少女フレンド」で連載された『ねこ目の少女』と『へび少女』がヒットし、「恐怖マンガ家」として一躍有名になりました。2024年10月に88歳で逝去しましたが、その作品は今なお多くの漫画家やファンに影響を与え続けています。
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楳図作品の最大の特徴は、ホラー漫画というジャンルを確立させただけでなく、『まことちゃん』のようなギャグ漫画でも大ヒットを飛ばした「恐怖とギャグの二刀流」にあるんです。現代ホラー漫画の第一人者である伊藤潤二からは「画家ダリにも引けを取らない」と評されるほど、その芸術性は高く評価されています。
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楳図かずおの代表作として最も有名なのは、1975年に小学館漫画賞を受賞した『漂流教室』です。突如として未来世界へタイムスリップした小学校を舞台に、極限状況下での人間の本質を描いた傑作なんです。主人公の少年を中心に展開する物語では、予想外の事態に直面した際の教師たちの脆弱さや、極限状況下での人間の行動と心理が緻密に描写されています。
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楳図かずおの代表作品の人気ランキング
『ねこ目の少女』は、加賀家の領主にまつわる双子の忌まわしい伝説を基に、ねこの怨念が戦慄の現代ホラーに生まれ変わった作品で、楳図少女ホラーの黄金期のスタートとなった記念碑的傑作と言われています。雪姫という猫目の少女が父親に毒殺され、その恨みが現代の加賀家の末裔に影響を及ぼしていくストーリー展開が特徴的なんです。
参考)作品紹介
『へび少女』は、病院に檻に入れられた女性の謎を描いた作品で、楳図が自分の作品を「恐怖まんが」と名づけた記念碑的作品の一つとされています。見た目は普通の女性なのに「カエルを持ってない?」と問いかけてくる不気味な展開が読者を恐怖へと引き込みます。
参考)https://hangyo.sakura.ne.jp/umezz/manuf.htm
『洗礼』は、恐怖漫画をメインに描いてきた楳図のキャリアの中で、へび女のような目に見える恐怖ではなく、人の心というものの怖さを描いているのが特徴なんです。美貌を誇った往年の大女優が、娘に自身の脳を移植しようとする狂気のストーリーは、人間の内面の恐怖を極限まで描き出しています。
参考)洗礼 (漫画) - Wikipedia
『わたしは真悟』は、1982年から1986年にかけて青年漫画雑誌『ビッグコミックスピリッツ』で連載されたSF作品です。町工場で稼働していた産業用ロボットが小学生の男女と接触したことにより自我に目覚め、進化を続けながら人間の悪意と対峙していく長編作品で、40年近く前の作品にもかかわらず、現代の人工知能やネット社会を予言したかのような内容には驚かされます。フランスの漫画祭で賞を獲得するなど、国際的にも高い評価を受けた作品なんです。
参考)https://narita-akihabara.jp/ja/entertainment/post-000165
楳図かずおのコマ割り技法は、漫画表現において非常に独特で革新的なものでした。四段×三コマという小さなコマ割りを基本としながら、タチキリをほとんど使わず、禁欲的なほどコマは小さく使っていたんです。それでいて絵の密度はとても高く、家具調度や壁紙の模様、動きを表す集中線などは過剰なぐらい描き込むスタイルを貫いていました。
参考)マンガのスコア LEGEND16 楳図かずお 戦慄の迷宮
楳図かずおの独特なコマ割り技法の解説
コマのテンポも独特で、とにかくヘンなタイミングの「中割りカット」が過剰に盛り込まれていて、楳図マンガに特有のリズムを刻んでいるんです。恐怖に顔をゆがめた少女のカットに続けて、口だけのクローズアップが二コマ連続して現れるような演出が特徴的で、少女の口に深く刻みこまれた「楳図ジワ」が印象的な表現として知られています。
楳図のトートロジー的なコマ割り技法は、実のところ鏡・分身といった楳図マンガに頻出するダブルイメージと密接に関係していると分析されています。継起性を重視した細かいコマ割りが楳図の基本ですが、実際は並存性も巧みに利用していたんです。
参考)後藤護の「マンガとゴシック」第2回:楳図かずおと恐怖のトート…
表情の描写においても、楳図作品は特筆すべき特徴を持っています。登場人物がどんな表情を見せるかで伝わる恐怖はまるで違ってくると楳図本人が語っており、美しい女性の顔が壊れていく怖さ、恐れ慄く顔、威圧する顔、表面の顔に隠れた真の顔など、多様な表情表現で読者を恐怖へと誘導していました。
参考)「こわい本10 顔」楳図かずお [角川ホラー文庫] - KA…
楳図の線の一本一本が緊張感を演出し、細密な描き込みで圧迫感を表現する技術は、後のホラー漫画家たちに大きな影響を与えました。基礎的なデッサン力やコマ割りの練習を重ねることが、ホラー漫画家を目指す人にとって絶対に必要だと言われる理由は、楳図のような技術があるからこそ恐怖がリアルに伝わるからなんです。
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楳図かずおのデビュー作は、1955年に刊行した『森の兄妹』で、当時18歳でした。実は中学2年の時の作品で、サークル仲間の水谷たけ子との合作でしたが、グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」を漫画化した作品として制作されたんです。
楳図かずおの初期作品の詳細な歴史
同年9月の『別世界』は楳図の単独デビュー作品で、これも実は高校1年の時の作だと言われています。やはりすでに手塚の影響を脱して、独自の極めて装飾的な絵柄を確立していたのが特徴的なんです。設定も、未開社会の部族間の争いを舞台として、人間のあり方を終末SFの形式で描いた意欲作でした。
1956年3月から9月までの半年間、『大和タイムス』(現在の『奈良新聞』)に「吉野のあらし」を全170回という大作として連載しており、日刊ペースの大連載だったため、近所のお兄さんお姉さんらにベタ塗りなども手伝ってもらっていたそうです。吉野南朝を舞台として護良親王、後醍醐帝、楠木正行などの歴史上の人物を配し、異界への扉「口ほこら」を通じて卑弥呼や土蜘蛛に出会うという幻想的な歴史活劇を展開していました。
1956年には、少年探偵・岬一郎シリーズの『底のない町』『姿なき招待』などの単行本を発表し、探偵物とは言え怪奇色が強く、1959年まで断続的に連作が描かれました。1957年からは単行本のほかに短編誌も手掛けはじめ、三島書房の『鍵』と『花』、金龍出版社の『虹』などがおもな活躍の場となったんです。
『虹』に掲載された「口が耳までさける時」は、ヘビである継母を描いた記念碑的作品で、楳図が自分の作品を「恐怖まんが」と名づけた最初の作品として知られています。すでにこの初期作品の時期から、恐怖・怪奇・幻想趣味といった楳図的なテイストが見られるのが特徴的で、想定される読者層を意識してプロらしく作品を描き分けていたんです。
ホラー漫画を描きたい人にとって、楳図かずおの技術から学べることは非常に多いんです。まず重要なのは「観察力」と「発想力」で、怖さの種は現実世界の中に潜んでいるという認識が必要になります。「暗い夜道で誰かに見られている気がする」「普段と違う音がする」といった日常の些細な違和感がホラーの起点になるため、普段から「なぜ怖いと感じたのか」をメモしておく習慣が大切なんです。
楳図の作品には、単なる「怖さ」を超えた哲学的なテーマや、日本独特の美意識が息づいています。日本の自然や精神文化に根ざした描写は、「見えないものへの敬意」を表現しており、こうした感覚が作品をさらに奥深いものにしているんです。楳図が描く「見えないものへの畏怖」や日本文化の繊細な側面に触れることができる点が、世界中のファンを魅了し続けている理由と言えます。
参考)日本ホラー漫画の伝説、楳図かずおさんがが遺した芸術と恐怖の世…
ホラー漫画家になるための具体的な技術解説
キャラクターの表情やシーンの空気感を正確に伝える画力も不可欠です。恐怖で震える人の顔、暗闇の陰影、不気味な静寂など、細かな表現力がホラーの説得力を高めるため、基礎的なデッサン力やコマ割りの練習を重ねることが絶対に必要なステップとされています。
楳図作品の特徴として、恐怖の引き出しの多さも挙げられます。怪奇現象から心理ホラーまで幅広く描き、極限状態を通じて恐怖を演出する手法は、さまざまなホラー体験をインプットしておくことで自分の作品に厚みを持たせることができるという教訓を与えてくれるんです。
時代性の取り入れ方も重要で、楳図は戦後の怪奇現象やオカルトブームに対応しながら、人間の心の恐怖という普遍的なテーマを描き続けました。現代のホラー漫画家を目指す人も、SNSやデジタル依存など読者の生活に密着したテーマを盛り込むことで、よりリアルな恐怖として響く作品を生み出せると考えられています。
楳図かずおが日本の漫画界、さらには世界のホラーアート界に遺した影響は計り知れないものがあります。恐怖漫画というジャンルを作ったホラー漫画界の第一人者として、その作品世界の幽玄さは読めば読むほど、知れば知るほど深みを増していくんです。
楳図作品は、ホラー以外にもSFやギャグ、時代劇など多岐にわたり、『わたしは真悟』はフランスの漫画祭で賞を獲得するなど、日本のポップカルチャーの発展に多大な影響を与えました。『まことちゃん』での「グワシ」というポーズは社会現象となり、子どもたちの間で大人気となったことからも、その影響力の大きさがわかります。
参考)楳図かずおさん死去、88歳 「漂流教室」「まことちゃん」 -…
楳図の銅版画作品では、メゾチント技法を独自にアレンジした「ウメゾチント」という技法を生み出し、数々の作品を制作しました。黒の濃淡が巧みに表現されることで、猫目小僧の世界観が独特の雰囲気で描き出されており、卓越した技術力だけでなく、ユーモアあふれる独特の感性に触れられる貴重な作品として評価されています。
参考)フリーダイヤル
楳図かずおが遺した芸術と恐怖の遺産
1995年の『14歳』連載終了以降は漫画の制作を休止しましたが、タレントや映画監督などマルチに活動し、赤と白のトレードマークで知られる独特のキャラクターとして文化的アイコンとなりました。彼の作品は世代や国境を超えて読み継がれ、日本と世界のファンに影響を与え続けており、これからも多くの人々の心に生き続け、日本文化の一部として新たな読者と出会い、理解を深めるための「文化の架け橋」となり続けるでしょう。